私は中学時代に不登校を経験しました。高校は「ここなら中卒のほうがマシ」とまで言われる底辺定時制高校を4年かけて出ました。
今となっては原因も思い出せませんが、1年生の後半でつまずいてほとんど行っていません。部活だけは行っていましたが、教室に入ったり授業を受けることは一切放棄しました。
たぶん友達同士のいざこざか、思春期特有の価値観をこじらせた結果だと思います。
そんな私の周りには、なぜかお子さんが学校に行けないと悩む人が多いのです。今日はそんなお話です。
子供が不登校になったら必ず守る3つのこと
守ってほしいことが3つあります。
これだけ守れればパーフェクトです。逆に言えばこれをするのが一番難しい。
Youtuberが何と言おうと、「子供は学校に行くもの」という社会的な価値観は揺るぎません。「学校に行く=普通」という図式は今後も崩れることはないでしょう。
不登校を経験した私ですら、行けるなら行っといたほうが良いと思っています。
ここでほとんどのお母さんはこう考えます。
うちの子が”普通”ではなくなってしまった!!
これは論理が飛躍しすぎています。
学校に行っている子が“普通”であるとは言い切れないし、不登校児が異常であるとも言えません。
そもそも“普通”とはなんだ?という問題もあります。例えば、カツアゲや万引きを繰り返しタバコを吸うけれど毎日学校に来る生徒は“普通”ですか?
子供の心配をしているつもりの親
ちょっと思い出してほしいんです。
お子さんが初めて熱を出したとき、パニックになりましたよね。真っ赤な顔で息も荒い様子を見て、「とにかくこの子が無事でいてくれさえいれば…」と祈ったと思います。
12年前に熱を出した子供と、今学校に行けない子供は同一人物のはずです。12年前は生きててくれれば良かったのに、なぜ成長すると“普通”に学校に行かないといけないのか?
これはお母さんの認知の問題です。
この記事で親からの刷り込みについて触れましたが、「学校へ行く=普通の子供」、「子供を普通に育てる=普通の親」という強烈な刷り込みが元で、子供より自分を心配しています。
そして、子供が不登校になったとき大抵の親は戸惑います。
なぜ“普通”に学校に行けないの?周りの子は行けているのに… なぜ“普通”に過ごせないの(過ごさせてくれないの)? 私はどこかで間違えたの?“普通”の親ではないの? |
といったように。
親の行動は単純すぎて読みやすい
さて、一通り戸惑ったあと親が取る行動は3つしかありません。叱る・泣く・諦めるの3つです。
これを気が済むまで繰り返します。気が済む時とは?子供が学校に行くか、親が受け入れたときです。
①叱る
どんな手を使ってでも学校に行かせようとします。叱り、脅し、時には罰を与えます。お小遣いカット、スマホを取り上げる、体罰もあるでしょう。
親のほうが身体も大きいし、力もあるし、親のほうが正しいから。強権を振りかざして子供を従わせようとします。
②泣く
怒りが通じなければ泣き落としです。子供を思っているから涙が出るんだ…という顔をしながら、自分が可愛そうで仕方ないのです。“普通”の親になれない自分が哀れに思えて涙が出ます。「あなたのためを思って…」が口癖です。
③諦める
一通りやってみても通用しなかったので一度諦めます。しかし決して受け入れたわけではなく、しばらくするとまた①に戻ります。
これを気が済むまで繰り返しますが、そのサイクルはどんどん早くなっていきます。
進路問題がついてまわるからです。生きていてくれさえすれば良かった子供は、良い高校・大学に入って良い会社に勤めることを暗に求められていきます。
子供が学校に行けなくても、人の価値は下がらない
子供が学校に行けないからといって、子供やお母さんの価値が下がることはありません。
学校に行けないからなんだと言うのですか。人を傷つけたわけでも、物を盗んだわけでもない。学校に行きたくないだけのことで、そんなに悲しまないでください。子供や自分を責めないでください。
子供の価値はお母さんが一番よく知っています。ではお母さんの価値は?
これもお母さんが一番よく知っています。私の作ったご飯を子供がもりもり食べる。それで良いじゃないですか。学校に行かなくても腹は減るし、ご飯は作らなきゃならんのです。
子供と一緒に食卓を囲めることに幸せを感じて、それでおしまいにしましょう。それがお母さんの価値です。食事は何を食べるかではありません。誰と食べるかです。
人生100年の内、たった数年の足踏み
私は中学校にほとんど行っていませんが、特に困ったことはありません。
学校行ってて良かった!と思ったこともないですし、習った事が役に立つこともありませんでしたが、何不自由なく暮らせています。
中学校全部行けなくたって、たった3年です。中学校を卒業してもまだ15歳。お母さんからしたら喉から手が出るほど欲しい若さがそこにあります。
100年の内3年停滞したところで、何も影響はありません。それはこれからの85年を生き抜くために必要な足踏みであって、責めることではありません。
生きていてくれるだけで嬉しかった日々があったはずです。忘れているだけです。
そういう日々を思い出させてくれる期間だと思って、一緒に休めば良いと思います。
責めるのはやめて、親子で休みましょう。私の親がそうしてくれていたらどんなに良かったか。
今不登校の子供も、これから不登校になる子供も、そういう人たちに囲まれていることを望みます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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