手品店長の、全く参考にならないうつ克服体験記

こんにちは、手品店長です。
高校卒業後、失恋をキッカケに坂道を転がり落ちるようにメンヘラになった私は、19歳から3年間を棒に振りました。

仕事に行っても体が動かない、話せない。夜眠れない。食事もとらずに飲酒喫煙自傷行為の毎日です。
目をつぶると軍人が列をなして歩く幻聴が聴こえたり、マリオがクリボーに当たって死ぬ幻覚が見えました。

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診断とクスリ遊びの始まり

実際に診断がついたのは確か20歳の時で、うつ病、統合失調症、適応障害の3連コンボでした。
それまでは診断されてないだけのメンヘラとして、内科をハシゴしてデパスとハルシオンをかき集めていました。

初めての処方は「リスパダール、ベゲタミンB、ソラナックス」でした。始めは処方通りに飲みました。
このリスパダールがゲロマズで、2回目の受診で処方箋から消したのを今でも覚えています。

次第に処方通りに飲まなくなり、クスリが効かなくなります。自分で勝手にブレンドして飲むので当然です。

レキソタン、アモバン、ワイパックス、サイレース、サインバルタ、トリプタノール、レンドルミン、ジェイゾロフト、デプロメール、本当に色々飲みました。この頃には精神科を2つ3つ通うことを覚えました。

当時やっていたメンヘラブログは割と人気がありました。昔は男性リストカッターというのが珍しく、また私の天才的文章能力(自画自賛)もあって、数多くの女性読者を惹きつけました。

ブログの結びに使っていた「Have a break? Have a wrist cut!」というギャグのおかげで、いまだにキットカットを見ると笑いがこみあげてきます。

そんな私も、今では結婚し就職しています。なぜなら私もまた、特別な存在だからです。

生き延びて、地獄の断薬

最後の自殺に失敗し病院で目を覚ました私は、「ここまでやっても死なないなら生きるか…」と消極的に前を向きます。
私の人生再生の一歩は、「死ねなかったから生きる」というものでした。

病院で昏睡している間に全てのクスリを捨てられ、さっそく生きがいの一つを失います。
あんなに苦労して集めた私の子供たち…ハルシオンが200錠突破したときは祝杯だって挙げたのに…。

仕方ないので、不本意ではありますが断薬生活を始めました。まずはこのラリった頭を何とかしなければなりません。
昏睡期間中に断薬状態だったのも功を奏し、不眠期間は3~4日で済みました。最後は倒れるように寝ました。

しかしメンタルはそうもいきません。真面目に飲んでなかったとはいえ、ワイパックスなしでは日常生活もままならなかったからです。クスリなしでは外にも出られません。

幸いにして友人や恋人の施しを受け、極力外に出ずに命を繋ぐことができました。
生存確認や差し入れなど、友人や後輩、現在の妻の助けがなければ、今頃生きていなかったでしょう。

不思議なもので、飲まなければ飲まないで徐々に身体は正常に戻っていきます。クスリで埋めていた心の穴は、クスリを失うことでまた空きました。しかし、その穴には何かが入ります。私の場合は身近な人との関わりでした。

クスリを飲むことで得ていた安心感を、人間関係から得られるようになった時、私の断薬は終わりました。

社会復帰の第一歩 持つべきは友

何はともあれ働かなければ生き残れないので、バイトでも良いから働くことにしました。
誰も知らないところで働くのが怖かった私は、当時レンタルショップでバイトをしていたよっちゃんを頼ります。

手品店長

おっす、バイトしたいんやが拾ってくれや

よっちゃん

おかのした

このレンタルショップで2年務め、なんと私は店長に上り詰めます。よっちゃんの紹介で入ったのに、上司になりました。

自分が人の役に立てること、頑張れば結果が出る事、友達と一緒ならクレームも耐えられるし、職場が遊び場になりました。もし、いつでも好きな時間に戻れるなら、迷わずこの2年間に戻るでしょう。本当に楽しい時間でした。

しかし、そんなレンタルショップも終焉を迎えます。会社が倒産したのです。よっちゃんも大学卒業するタイミングで、私は店長としての任を終えました。この時23歳でした。

友達がバラバラになり崩壊の危機

そんな折、よっちゃんは就職で他県に行き、ミフネは結婚して奥さんの実家へ。私だけ地元に取り残されるという状況になりました。

もともとこいつらしか友達のいない私です。ショックのあまり友達は皆アフガニスタンで死んだことにしました。
こうしてまた一人に戻り、誰も知っている人のいない環境でフリーターになったのでした。

ホームセンターやネットショップの梱包、ゲームセンターなどのアルバイトを渡り歩きながら、徐々に精神が崩壊していきます。生活苦で人生初の借金もしました。15万だった借金は50万近くになりました。

今思えばたかだか50万ですが、私には人生終わる金額でした。しばらくやっていなかったリストカットを再開しました。
そうして私は、今度こそ確実に自殺するための準備を始めます。

断捨離です。

唯一カネになりそうなギターとバイクを残して、目に付いた物を捨てました。同棲していた恋人向けの遺書も書き、今度こそ本当に死ぬつもりでした。

さて飛び降りにしようか、首吊りにしようか、完全自殺マニュアルを読みながら考える日々が続きます。
高いところは怖いから、首吊りだな…でも部屋で死んだらあとが困るから、どこか人目につかないところで…。

私の脳内に、自分が死ぬためのビジョンが克明に描かれていきます。

これとこれをやったら遺書を郵送して、携帯は解約する。バイクは家において、ロープと財布だけ持って片道切符で失踪する。そうして誰も知らないところで死のう。

やっぱりあの時死んでおけば…。満ち足りた人間関係を失い、私は再度死に向かって歩き始めました。

断捨離のおかげで人生再生

時間だけはたくさんありましたので、断捨離をしながら自分と向き合うことができました。
冷静に考えれば、もうすぐ死ぬのだから片付けなくても良いはずなのに、私は一つ一つ丁寧に選別していました。

「これはいるもの、これはいらないもの。これは…本当に大切なもの」

部屋が片付くにつれて、心も片付いていきます。私は会社と友達を同時に失ったことで、死を選ぼうとしていました。

でも、会社が潰れたのは私のせいではないし、友達の選択は私にはどうしようもありません。
私は自分の「影響の輪」に集中することに決めました。

  • あの楽しかった時間は戻らないか?-YES.
  • あの会社以外に働く場所はないか?-NO.
  • よっちゃんやミフネは二度と会えないか?-NO.
  • あいつらは私と絶交するために地元を出たか?-NO.
  • またみんなでゲラゲラ笑うことはできるか?-YES.
  • 今死ぬのは正しいか?-NO.

こうして私は、自分自身との問答を経て再度前を向くことに成功しました。

空っぽになった部屋と心に何を入れるか、すぐに決まりました。
私の運命を決定づけるドラッグストアへの就職、勉強や読書に目覚め、私は自分の才能を見出していきます。

自分自身の力を蓄え、周囲に対する影響力を発揮することで、自己肯定感を高めました。

自分の欲しいものがハッキリとわかれば、それに必要なルートが見えてくる。なぜかわからないけど、その時必要な人間関係やお金は簡単に手に入る。しかも、仕事は普通にしてるだけで評価される。

その後も浮いたり沈んだりを繰り返しながら、私は徐々に自分を取り戻していきました。

もう一度3人でバカをやる

結局のところ、私の生きる動機は「もう一度3人でバカをやる」です。
くだらないことでゲラゲラ笑って、たまに真面目に働いて、気が済んだら釣りに行ったり、クワガタを採りに行ったりする。

ガキのころにやったことを、大人になってからもやりたい。私はそのためにも、もう一度3人集まる場所を守る義務があります。

私は人間関係で病み、人間関係で再生しました。始まりと終わりは同じところにあって、時々見失ったりもするけれど、いつか自分の大切な場所に帰って来るのだと思います。

その道のりが長くて、どっちに進めば良いかわからない。この状態を「病んでいる」と言います。

私がうつを克服するためにやったことは、「断捨離」と「自分と向き合う」の2つだけです。クスリやリストカットは何の役にも立ちませんでした。

今がどんなに辛くても、人生再生は必ずできます。自分と向き合い、あなたの本当に大切なことをもう一度見つけてください。そこに再生のカギがあります。

この記事があなたの助けになることを切に願います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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この記事を書いた人

元メンヘラでリストカッターとクスリブレンダー。現在は全てを克服し、かつての自分を救う活動を始める。
悩み相談アプリ「メンヘラせんぱい」でも活動中。毎日夜に開放してます。

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