不登校親が我が子の不登校を受け入れられるまで:前編

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こんにちは、手品店長です。

私は中学校にロクに行っていません。いざ卒業するとなったとき、担任に「校長室に行って校長先生に卒業をお願いしなさい」と言われたくらい行っていません。あいつぜってー許さねぇからな。

そんな私が学校に行かず何をしていたかと言うと、アニメを観たりゲームをしたり、ひたすらチャットに没頭したりしていました。あと、中学生のころエヴァンゲリオンに出会ってしまい人生が狂ったりしました。

そういうわけで、私のところには子供が不登校で…という人の相談がよく来ます。今日はそんなお話です。

この記事は相談者の許可を得て手品店長が代筆しています。変なギャグは手品店長が勝手に入れたものです。

目次

我が子が普通でなくなってしまった!

息子が小学校4年生の終わりごろ、私が盲腸になりました。あまりの痛さにビタンビタン跳ねながら救急車で運ばれて治った後、息子の様子がおかしくなりました。

昔から、私が体調を崩すとすごく心配してくれる良い子でした。できるだけ見せないようにしていましたが、救急車でドナドナされてしまったので隠しようがありませんでした。

「お母さんを心配して疲れちゃったかな」と先生が言うので、初めは穏やかに見守っていました。
まぁ、そういうこともあるよね。たまには学校に行きたくないときもあるよね。そんな軽い気持ちでした。

しかし、私の身体が元に戻っても、息子の心は元に戻りませんでした。
ズルズルと休みがちになり、学校に行けなくなりました。

始めは「私が心配をかけたから…」と見守っていても、1ヶ月が経ち、2ヶ月が経ち、さすがに焦り始めます。
この間まで普通に学校に行けていたのに、おかしい。友達もいるし、いじめられている風でもない。

そのうち私の精神もおかしくなりました。

「不登校のキッカケを作ってしまった!」と、自分を責めて反省するかと思えば、急に何もわからなくなって枕に顔を埋めて泣きました。

チャイムの音が聞こえるたびに涙が出て、登校する子供たちを見ては「なんでうちの子は…」と泣く。
なんで起きられないの。なんで寝てるの。なんで学校に行けないの。元気じゃん。

何とか歩み寄ろうと色々な提案をしました。校門まで行ってみよう、1時間だけ行こう、部活だけ行こう。
優しくしても通用しないなら実力行使です。親の権限をフルに使って、引きずるように連れて行ったこともありました。

息子の気持ちが理解できず、声を荒げたこともありました。

そうして、嵐のような小学校時代が過ぎていきました。

家庭崩壊寸前の中学校時代

中学校に入っても、息子は普通に戻れませんでした。学校に行こうとするとお腹が痛くなる、吐く、泣く。
朝起きられないのに、夕方になるとすっきりして起きてくる。他のことはできるのに、どうして学校だけはダメなの。

夫は比較的受け入れており、学校に行くことを無理強いすることはしませんでした。むしろ早起きしてキャッチボールに付き合ったり、よき父であったと思います。

3つ上の娘は息子を嫌いはじめ、会話を避けるようになりました。自分は大変なのに、なんでこいつは家で寝てるのか?

一方私は、いまだに受け入れることができませんでした。
私自身、勉強で苦労したため、息子には私のようになってほしくない思いが強くありました。

また、夫が良いとこどりをしているような気がしてしまい、それも許せませんでした。私が必死になっているのに、どうしてそんなに落ち着いていられるのか、わかりませんでした。

今思い返せば、夫はそんなに問題に思っていなかったのだと思います。だから余計に私が抱え込んでしまい、それも許せませんでした。誰にも話すことができず、家族の溝だけが深まっていきました。

動けば動くほど迷う

そこに進路問題が圧し掛かります。ここで躓くと、一生が台無しになる。私の焦りは日を追うごとに加速します。
学校の先生もあまり頼りになりませんでした。「出席が…進路が…」と言われるたびに、私の心がすり減っていきます。

そんなことわかってるし、息子もわかっていました。このままではマズい。喫煙者がタバコの害を理解するように、息子は不登校が良くないことを理解していました。それでも行けなかったのです。

学校に行くこともできず、家では家族に責められ、避けられ、怒られる息子はどこにも居場所がありませんでした。
今となってはその辛さを想像することができますが、当時の私は焦るばかりで、そこに気が付きませんでした。

明日は行けるかもしれない、午後からなら行けるかもしれない、部活だけなら行けるかもしれない…
勝手に期待しては裏切られた気持ちになり、息子に失望し、そんな自分にも失望する日々が続きました。

スクールカウンセラーに相談しても、どこかで聞いたような答えしか返ってきません。
曰く、「様子を見ましょう」「好きにさせてあげてください」「一緒に考えましょう」etc…。

そんなこと誰かに言われなくてもわかっているし、イヤと言うほどしてきたことでした。
これ以上どうすれば良いのかわからず、医療の力を借りました。

内科や心療内科など色々なところに行きましたが、目に見えて効果のあるものはありませんでした。
診察室で何をしているのかもわからず、何のために通っているのかわかりませんでした。

人生最大の転機

そんな折、私が異動することになり職場が変わりました。息子が中2の秋のころです。
新しい職場にも慣れたころ、上司も不登校だったという話を聞き、意を決して息子のことを打ち明けました。

その上司というのが、手品店長です。

誰かに話を聞いてほしかったし、助けてほしかった。不登校だったこの人なら、子供の気持ちがわかるかもしれない。
神頼み、祈りにも似た気分で、少しずつ話し始めました。

学校にずっと行けていないこと、たまに行けるときがあって、その時は送迎のために遅刻や早退をさせてほしいこと。
進路のことや学校からの呼び出しで、急に休みを取りたいときがあること。

そして、息子の気持ちがわからず、どうすれば良いかわからないこと。

話始めたら止まりません。今まで抑えていたものが溢れだしました。

店長は立ったまま、まるで世間話のように聞いていました。私の深刻さに対して、店長の軽さと言ったらありませんでした。
きっと店長にとって不登校は当たり前の話で、そこまで深刻じゃなかったんだと思います。


一方的に話し終えると、いくつか質問されました。

手品店長

なんで行けないの?

―ハッキリとした理由はわかりません。友達もいるし、いじめられている様子もありません。

手品店長

行かないとダメなの?

―進路のこともあるし、学校には行ってほしいです。

手品店長

それは誰のため?息子のためか、あなたの親としての顔のためか、どっち?

答えられませんでした。

店長は私の目を見て、できるだけ明るく話し始めました。

手品店長

学校なんか行かなくて良い。ホモサピエンスのオスは80年近く生きる、そのうち何年か足踏みしたって何ともない。

店長は当然のように、学校に行かなくて良いと言い切りました。今まで誰にもそんなことを言われませんでした。
店長は自身の経験を交えて、今の私たち親子に必要な物を一つずつ探して、導いていきました。

ここから、私と息子の人生を変える課外授業が始まりました。

後編に続く

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この記事を書いた社員

秘密結社リトルダンサー社長で強く生きる魔法管理人。
元メンヘラでリス〇カッター。現在は全てを克服し、かつての自分と同じ人を救う活動をしています。
各種SNS、お問い合わせフォーム、コメント欄より相談受付中。

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