いじめを受けた記憶は残り続けるという話

秘密結社リトルダンサーは、寄付を通じてグッドごはんを応援しています。

こんにちは、ゆかりです。

みなさんは「いじめ」受けてましたか?または今現在進行形で受けていますか?
新学期が始まって早1ヶ月ですが、もうすでに学校に行きたくない人達が生まれていることでしょう。

これはネットで一昔前に流行ったクソコラ素材

されていた、していた、見ていた。一つも当てはまらない人なんて存在しないと思います。

「いじめなんてよくない」と口にしてもなくならないし、たとえば、職場で人の愚痴を他の人と言い合うのも広義ではいじめかもしれません。

「よくない」と言いつつ「これくらいなら……」と愚痴を言い合うことは私自身も行ってしまっています。

「いじめを受けている人を救いたい」という高尚な意志はあっても、簡単な言葉で慰めるのは良くないなと思っています。
だったらせめて私が受けたいじめを発表しようと思い、この記事を書いています。

私、受けたいじめ発表ドラゴンになります!

安心してください。

30歳になる私が幼少期のいじめの記憶に未だ苛まれています。恐らくもうこれは40歳になっても50歳になっても消えることはないでしょう。

渦中にいる人達は決して苦しんでいる自分を攻める必要はありません。それだけは伝えたいと思います。

目次

①私の「いじめ」原体験


人生で一番最初にする集団生活は多くの人にとっては幼稚園や保育園で、私にとってもそうでした。

一番最初にうけたいじめは幼稚園の年中~年長にかけてのことでした。今でも鮮明に覚えているし、一番酷かったいじめも幼稚園で受けたものでした。

きっかけは覚えていないけれど、昔から私は鈍臭くてよく先生に注意されていて、「いじめても良い存在」だと認定されていたと思います。

最初はちょっとした嫌がらせを受けて、その反応がとても良かったのがエスカレートしていったのでしょう。
一番嫌で覚えていることは、体育や水泳の終わりの時間、着替えをするタイミングでのいじめです。

私の幼稚園では男女一緒にクラスルーム内で着替えをしていました。教室内の監督の大人は誰一人いない状況で、誰かが私の着替えを奪って宙に投げる、誰かが取る、それをまた誰かに投げる。

まだ可愛い5歳の私は「返して~」と教室中を走り回ります。プール終わりのクラスルームはさながら土曜の夜のクラブのように盛り上がっていました。

クラブに行ったことのない筆者の精一杯クラブのイメージ。 いじめをしている室内はアゲアゲ空間なのだ。

そんなことが起きても担任が到着する頃にはみんなやめています。ずる賢い幼稚園児たちだなと今でも思います。
担任が到着する頃になっても私は着替えが終わっていなくて、それどころか着替えやタオルが床に散乱してる状況です。

そんな状態を見た担任は、

何をしているんですか

と私を怒ります。もともと鈍臭かった私は行動が遅いため、着替えが終わっていない姿に違和感をもたれなかったのでしょう。

私が、「だってみんなが邪魔するんだもん😣」と訴えても、みんなは口をそろえて「ゆかりちゃんが遊んでました~」と言い、担任もそれを信じます。

教室内のカーストとして、何をしても鈍臭い私は圧倒的に弱者でした。就学前から集団内にカーストがあるなんて本当に嫌ですね。

結果的に、私は遊んでいて着替えが遅かった上、嘘をついたことにされます。これとほぼ同じ流れのことが年長になると給食中にも授業中にも起きました。

そんな流れで圧倒的弱者だった私は、あらゆることをしても許される存在となります。

クラスのおもちゃが壊された、トイレのハンドソープが消えた、何も身に覚えがないことも誰かが「ゆかりちゃんのせいだ」と言えば私のせいとなり、先生方からもお叱りを受けるのも当たり前となります。

今思えば、教師たちの無能さにも殺意が湧くけれど、「私は知らない」ということを上手く言葉に出来なかったのだろうし、当時の私は「こういうものなのだ」と何か受け入れてしまっていた部分もありました。

この幼稚園時代は同級生からだけではなく、担任やその他先生方からも嫌がらせのような名前で呼ばれてニヤニヤされたりいじめのようなことをされていました。

仮に園児達に感化されて教師陣が私をいじめていたとすれば、さすがにそれは滑稽過ぎるので、ここでは教師が私を粗末に扱ったせいで、子供にそれが伝染したことにします。

また、これはいじめを語る上で非常に重要なことではあると個人的に思うのですが、いじめをしている側(加害者)も一定の年齢になるまでは誰かの被害者なのだということです。

今回で言えば、「私に嫌がらせをしていた大人の姿を見せられていた」ということ。これを子供が見るというのは、今思えば虐待に近いと思います。

もうあの担任に届くことは一生ないだろうけれど、せめて今教育現場にいる方々には届いてほしいなと切実に思っています。

いじめが収まった日

ちなみにこちらのいじめの顛末ですが、本当にひょんなことから収まりました。

いつものように給食中、私のお箸やハンカチや各種持ち物が宙を飛び交う最中…それは本当に突然、本当の本当に突然、担任が教室へ戻ってきたのです。

今までこれが起こらなかったのが不思議なくらいで、今思えば見張り役とかがいたのかもしれません。ともあれ、その日はいじめっ子達にとって運が悪いことに、完璧に現場を見られてしまいました。

その瞬間宙に舞い上がっていた私の私物が床に落ちる音がしました。そして、担任に見られた瞬間、私は何故か「見つかってしまった」と感じたのです。

私は被害者なはずなのに、助けてほしかったはずなのに、まるでイタズラが見つかってしまった時のような気まずさを感じたのを覚えています。

あとはトントン拍子にいじめていた奴らだけがどこかの教室へ呼び出され、園長の奥様に死ぬほど怒られ、その後廊下で見世物みたいになって泣いていました。

私はその時「ざまぁみろ」という気持ちと「かわいそう」という気持ちを抱えながら彼らを見ていました。一方で、傍観者であったために難を逃れた他の園児と担任が、彼らを見てクスクス笑っていたのを覚えています。

とにもかくにも、こうしていじめは止み、私は無事に残り半年程の幼稚園生活を終えたのでした。

②小学生低学年

小学校に上がると同時に私達家族は引っ越しをし、新天地で小学生生活が始まりました。

入学する予定だった小学校が荒れていたこと、幼稚園時代のいじめ、親の通勤時間の関係など、色々な理由が重なって、私たち家族はできたばかりのマンションに引っ越しました。

運良くこのマンションには私と同じ新1年生の同級生家族が、私を含めて5家族もいました。

余談ですが、引越し先は田舎で(もともと住んでいた場所も決して都会ではないのですが)「自然で遊ぶ」経験が花冠作りくらいしかなかった私にとっては、田舎暮らしは衝撃的なことばかりでした。

女の子も男の子も関係なく、平気で虫やオタマジャクシやカエルを触り遊ぶ。そのうち私自身もかなり触れる虫も増えていったし、とても良い経験をしたと思っています。

引っ越し先のイメージ画像 家の周りが田んぼしかなかった為、カエルを追い回して過ごした。

このマンションの同級生たちもすぐ馴染み、小学校へ上がる前から友達になることができました。とても幸先の良いスタートを切ることが出来たし、親も安心したことでしょう。

しかし親の期待を裏切るように、小学校の1,2年生のときの私は当たり前のようにいじめられてしまいました。ただ、この期間のいじめはあまり強烈な体験ではなく、いわゆるトラウマにはなっていません。(依然と比べればね!!!)。

客観的に見たらいじめだったし、私も「辞めてほしい」と言っていましたが、思い出して吐き気が起こるような記憶ではありません。

それにはいくつか理由があります。

  • 庇ってくれる友達がいたから
  • 主犯格は別のクラスにいて、主ないじめの舞台は帰り道だった為、観客がいなかったから
  • いじめをしていたのが所謂「悪ガキども」のようなヤンチャな男の子達だけだったから

後ほど詳しく話します。

いじめの内容としては「普通に殴られる」「普通に飛び蹴りをされる」「普通に虫を服の中に入れられる」「持ち物を奪われて普通に壊される」など、ニンニクマシマシヤサイマシカラメではありました。

手品店長註:ゆかりはこの時の経験が原因で二郎系ラーメンを食べようとすると蕁麻疹が出ます。嘘です。

この悪ガキ共には何度か大きめの怪我を負わされ、家まで親と一緒に謝りに来たことがありました。

その度に先生たちから事情聴取を受け、「いじめてしまってごめんなさい」「いいよ」という日本の小学校でしか通用しないセレモニーを粛々と執り行ったことを覚えています。日本が銃社会だったら撃ってるぜ。

そんな悲惨な状況にもかかわらず、現代の私にとって大したトラウマにはなっていません。先ほど挙げた理由を自分なりに分析して、皆さんにも伝わるようにしてみます。

庇ってくれる友達がいたから

これはもう言葉通りその通り。やはり味方がいるのは心強い!

女1

やめなよーゆかりちゃんが可愛そうじゃん!

girl

ママのオッパイでも吸ってな!

boy

黙れプッシーキャットどもが!!

というアメリカンコメディでしか見たことのないやりとりをして本当に直接庇ってくれたし、まだ男女の体格差があまりなかったこともあってか、直接ガキ大将を殴ってくれる女の子もいました。

加害者がクラス内にいなかった、教室内じゃなかった、観客がいなかった

これはいじめを経験してきた人達の中には共感してくれる子達もいるんじゃないかなと思います。教室内という閉じた世界では、物理的に逃げ場がなく、それだけで抵抗力が奪われます。

一番長い時間を過ごす教室内でのいじめを免れたことは、不幸中の幸いでした。

いじめてた奴が「悪ガキ」だったから

いじめっ子は悪ガキで加害者で、いじめられている私は被害者の構図が出来上がっていました。

教室内で起きるいじめの怖いところは、多数派が「正義」であり、いじめられている一人がはみだし者の「悪者」という構図になっているという部分です。

しかし、私の場合は明確に加害者と被害者が明らかで、少なくとも教室内に正義のいじめっ子はいませんでした。

髪の色が違う、持ち物が違う、話し方が違う。何でも良いのですが、何か理由をつけていじめを行います。その上でいじめている側が「正義」になってしまえば「本当に私が悪いのだ」となってしまいますよね。

しかし、いじめられている側が悪いわけがありません。あの時の私にもそうやって言ってあげたい……。泣かないで私、Don’t cry.

③その後の私の人生

その後は特別ピックアップするようないじめ経験はありません。

仲間はずれや度を過ぎたいじり、学校生活で辛い思いをすることはこれからも多々ありますが、今回のようないじめは私の人生では今のところありません。


その後の私は中高時代本格的にメンタルをやられてしまうのですが、いじめが原因ではありません。
(ただ遠因として幼少期のいじめの記憶というのは脳に何かしら影響しているだろうなとは思っています)

中高のこともまた別の機会に紹介出来たらなと思っています。

④最後に

最初に「いじめを受けている人に簡単な言葉で慰めるのは良くない」と書いておいて、伝えたいことは結局ありきたりな言葉になってしまい申し訳ないと思います。

いじめというのは本当に、心を麻痺させていって、人から抵抗力を奪っていきます。
もしこれを読んでいるあなたが今、何かしらの形でいじめを受けているとしたら、あなたは何も悪くありません。

それだけは何度でも伝えさせてください。

「人と違う、劣っている」そういった些細なきっかけから始まったでしょう。
たしかに、いじめの「原因」はあなたにあるかもしれませんね。でもそれは決していじめて良い「理由」ではないのです。

「そんなことはわかってんだよ!」って?

そうですよね、散々言われてますもんね。

本当に分かっていて「俺は悪くない!いじめてる奴らが100%悪い」というマインドを持っているのなら本当にその通りなのでもう私が言うことはないです。

心配なのは、過去の私がそうであったように、「いじめられてる人は悪くないと言うけれど、私はやっぱり悪いんじゃないかな。」という思いを持っていたり、「いじめられているなんて知られたらなんて思われるか分からない。恥ずかしい」と思っている方々です。

そうですよね、散々メディアで言われてもやっぱりそう思ってしまいますよね。あなたは本当に優しい人です。あなたをいじめる正当な理由なんて絶対にありません。どうか、自分を許して労ってあげてください。

そして、どうか自分を害する環境からは逃げて下さい。逃げずに耐えても良い事はないので、自分を守るためにも逃げてください。

秘密結社リトルダンサー公式アカウント、または手品店長アカウントやコメント欄、お問い合わせフォームより相談を受け付けております。一人で悩まず、いつでもご連絡ください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

あなたも誰かの、おせっかいなやつらに
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた社員

ゆかりのアバター ゆかり 秘密結社リトルダンサー広報係

秘密結社リトルダンサー広報係。
現代インターネットと流行ものに詳しく、SNS慣れしていることから広報係を務める。最近おジャ魔女で泣いた。

コメント

コメントする

目次