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今までと違う視点の話
学校なんか行かなくて良い。ホモサピエンスのオスは80年近く生きる、そのうち何年か足踏みしたって何ともない。
そんなことを言われたのは初めてでした。今までに受けたアドバイスは全て、「行けるように頑張りましょう」という方向だったのに、店長はハッキリ行かなくて良いと言い切りました。
ただの怠けやサボりなら引きずったほうが良いけど、行こうとすると吐くんでしょ。たぶん、必要な足踏みだと思う。
そうして、店長は少しずつ自分の過去を語り始めました。自分も中学校にほとんど行ってないこと、確固たる意志を持って行かない選択をしたこと、それで困ったことは何もないこと…。
そして、これはいつも店長が言っていることですが
中学校行かなくたって、ちょっと頑張れば私くらいにはなれる。
「行かせなくて良いんだ」「行けと言わなくて良いんだ」と、私の中のスイッチが切り替わりました。
店長の超教育的指導
店長にとって、息子の不登校は大した問題ではありませんでした。一方で、私が抱え込んで、追い込まれて、泥沼の中にいることは大した問題でした。
私がそんな状態でいることが、息子にも悪影響を与えていることを店長は指摘します。
うちの親に比べたら、学校行かないくらいでそんなに心配してくれるお母さんは最高だと思う。さっきチラッと聞いたけど、学校行かせたいのは誰のため?
行きたくないと言っている息子の気持ちを無視して、「学校に行かせたい」という私の価値観を押し付けていたことに気づきました。私にとって、頭を殴られるような衝撃でした。
そしてそれが、息子の自己肯定感を下げ、お互いの気持ちが伝わらない悪循環の原因でした。
自己肯定感が下がるようなことは言わないほうが良い。皆頑張ってるとか、約束したとか、そういうのはやめよう。本人もわかってるから。
いくつかの超教育的指導の後、最もシンプルな答えが出ました。
男の子なんだから、最後には自分で何とかするよ
私はこの視点を見落としていました。息子を子ども扱い(子供ですが…)して、彼の意思を認めようとしませんでした。
親の価値観や考えを押し付けて、息子を否定していました。息子にも自分の意思や考えがあるのに…。
「親の私がしっかりしなきゃ」とか、「まだ中学生だから」とか、そういう考えで息子に接していたことに気づきました。
そうして私は、自分が子離れできていないことを認識し、少しずつ手放していくことを決めました。
それからの話と私のやったこと
その日の夜、私は息子に心から「学校行かなくて良いよ」と言うことができました。それ以来、私も息子もとても気分良く過ごすことができました。息子はむしろ早起きしてきたり、とても顔色が良くなりました。
それから、私は次のことに手を付けました。
- 「こちらから連絡するまで休む」と学校に伝える
- 給食を止める
- 息子を積極的に褒める
特に給食を止めることは、不登校を認めることと同義でした。私の中では大きな決断でしたが、息子のため、自分のために意を決して学校に連絡をしました。
こうして私たち親子は、長年悩まされた心の重石と家庭崩壊の危機から脱することができました。
母としての苦悩の話
私にとって、「母」という役割は重要でした。子供の成長を左右するのは父親よりも母親で、母親が明るくニコニコしておけば家庭は何とかなる。
その考えがあったから、私はなるべく家の中で明るくしていました。子供のことは私が何とかする。私が頑張れば解決する。
そうして乗り切れたこともあったと思いますが、息子の不登校は乗り切れませんでした。
母は完璧でなければいけない。
母はいつも笑ってなければいけない。
母はしっかりしなければいけない。
みんなそうだから。私のお母さんもそうだったから。
こうした考えが土台にあったため、私はずっと一人で何とかしようとしていました。初めて、学校や息子と関係のない第三者にこの話をしました。
とても大きな賭けでした。
「私が母として不出来で、息子との関わり方に悩んでいる」という負の部分を、赤の他人に晒すことになるからです。
息子の考えていることがわからず、夫と通じ合わず、姉弟仲は悪い。その全てを店長に話すことは、大きな賭けでした。
それでも、私は違う立ち位置の人から話を聞きたかったのです。違った視点で物事を見られる人からの話を聞きたかったし、何より助けてほしかったのです。肉体的にも精神的にも限界でしたから…。
最後に
現在、息子は自分で選んだ高校に自分で通っています。学校を嫌がることもなく、たまにアルバイトをしながら高校生らしい青春を楽しんでいます。最近バイト先を変えて、母は驚きました。
もうすぐ二度目の進路相談がやってきます。息子は自分で考え、歩いていけることでしょう。
私たち親子は幸運でした。たまたま理解ある上司に当たり、たまたま話のわかる店長に話を聞いてもらったからです。
店長のように…とはいきませんが、この経験のおかげで、私も誰かの助けになりたいと思うようになりました。
「辛い思いをした人は、誰かを助ける義務がある」
とは店長の言葉ですが、本当にその通りだと思います。
私の経験が誰かの助けになれば幸いです。今、お子さんとの関わり方や不登校でお悩みの方がいらっしゃったら、お話を聞かせてください。いつでもお待ちしています。
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